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 かなしいこと。
 けれど思い出してみなければならないこと。


 中絶は人生において大きな出来事になり得ます。一つの究極的事態だからです。あなたも相手も、さまざまな究極的選択を迫られます。そしてそこにおいては、いろいろなことが明らかになります。あなたと相手との(周りとの)人間関係、あなたのあなた自身に対する認識・評価。激しく自分を責める人もいれば、相手を憎む人もいるでしょうし、もちろん大した傷を残さない人もなかにはいるかも知れません。相手との関係が壊れたり、かえって深まったりすることもあるでしょう。

 わたしたちの周りでは語られるよりもはるかに沢山のひとが中絶を経験しています。とても個人的な事件ですから、ともすればたったひとりで多くのことを対処してしまいがちですが、それはあなたが思うよりはるかにしんどいことです。誰かのサポートを得ること。支えてもらっているという実感を得ること。助けをちゃんと求めること。あなたの痛みはあなただけにしか分からないけれど、近づいてきてもらうことはできます。わたしを気遣ってくれている、支えようとしてくれている、そう感じられることが大切です。それがあなたの助けになります。

 わたしは三回中絶をしています。そこから多くのものを得ることができました。ここに記すのは一つのサンプルですが、それがこれから中絶に向かうひと、想像以上のダメージに苦しんでいるひと、そのひとを支えるひとにとって少しでも役に立つものであることを願います。


サンプル

 1:平成6年12月24日

 最初の中絶です。たくさんのことを忘れてしまいました。


 このときは、ほんとうに、長いこと、自分を責めました。学校にはほとんどいかず、かといってなにをしているわけでもなくて、いつもはっきりした理由のないあせりと不安に空回りしていました。だから、この妊娠は罰なのかもしれないと思いました。親のお金で生活しているのに、親の望むように、勉強したりしていない。かといって自分の望むことが何なのか分かってもいない。何にもしていない自分に下った罰なのだと思われてなりませんでした。


 罰だと思ったのは、もうひとつ理由がありました。わたしの母は、再婚してわたしと妹を生みました。初めの結婚は、流産が原因で、破綻したのだそうです。母は子供欲しさに好きでもない男と結婚し、その結果とてもつまらない人間を伴侶に選んでしまったことをいたく後悔して、わたしたちに父の無能さつまらなさを毎日のように愚痴りました。そうしてわたしたちも父を激しく嫌悪するようになりました。父は仕事上家にはほとんど帰らなかったので、事実上母子家庭で育てられたわたしには父は父親ではなく、ただの男でもなく、出所のはっきりしない嫌悪をひきおこすいきものでしかありませんでした。けれど一方で実の父親をそんな風にしか思えないことに、罪悪感を抱いていました。母の流産に始まった、そうした家族内のさまざまのこと、わたしがしてきたことが、一気に収斂されてわたしの妊娠というかたちで吹き出したかのように、わたしには思われたのでした。


 術後のことはあまり覚えていません。ただ、毎日泣いていたことは覚えています。子供への執着でした。

 わたしは母にも妹にも時には友人にも「欠陥人間」といわれてきたので、このような人間が子供をもつのはいけないことだ、できたときはしょうがない堕ろすだけと思っていました。ですからこんなにいなくなってしまったものを思って泣くなんて予想もしなかったのです。

 堕ろしたときはまだ六週目ぐらいでつわりもなく、妊娠を感じられる手段なんて少しずつ増えていく体重と張っている胸ぐらいしかないのに、おなかのなかの自分とは違ういきものがわたしを食べていると、確かに感じられたのでした。畏れと妙な充実感がありました。左手はいつも知らぬうちにおなかをかばっていました。数日後には自分の意志で堕ろすというのに、なんだか守ってやらなければならないように思われ、自分ではないなにかを丸ごと抱え込んでいることで、とても強くなっているのを感じていました。わたしにとっては妊娠それ自体は、とても望ましいことだったのです。ですから、また妊娠したら今度は産もうなどと、愚かしくも思いましたが、現実にはその後二回も中絶をすることになりました。


 泣いているわたしの傍らで、もう一方の当事者である男(Yとしましょう)はなにをしていたかというと、わたしに背を向けて寝ていました。触れようともしませんでした。後になって子供に対してなにか思わないのかと聞いたところ、何とも思わないただお前はかわいそうだと思うといっていました。以前彼は、自分が子供を持つなんて想像もつかないけれど、おまえの子供ならいいといったことがありました。けれどもし子供ができたら、この男より確実に子供の方を愛するだろうと容易に想像ができたので、一緒にいつづけるためにも子供は生んではならないと思いこんでいました(自分が欠陥人間であると思っていたのももちろんありましたが)。そのとおりにしたというのに、結果はYに対するつよい憎しみが残りました。それは単純に中絶したからというわけではなく、その後の男の態度によるのだと、今ははっきりわかります。その憎しみは、二度目の中絶の後、ものすごい大きさで現れてきました。


 2:平成7年3月27日

   二度目の中絶です。記憶の限りでは、コンドーム無しのセックスはしなかったように思います。けれどセックスする限りは妊娠の可能性はゼロではないわけです。


 このころの記憶はぐしゃぐしゃで、時間を追って思い出すことができません。一度目の中絶のあと、Yとは別れたりまたもどったりもどられたりしたような気がしますが、定かではありません。手術後まだ麻酔が効いているときちょっと目が醒めて、隣に寝ていたひとにかわいそうにねといわれたこととか、もういないのもういないのとおなかにきき続けたこといないんだよと自分にいいきかせたこと、Yを刺そうとしたことなどがきれぎれに浮かんできます。そこに至るまでに二度ほど眠っているYの首を絞めました。だんだんとわたしの殺意はあらわになっていき、約一年後、Yを刺しかけるかたちでわたしは完全に破綻しました。


 何にも感じないといってわたしをひとりにした。わたしのかなしみに目をつぶった。「お前をもう何とも思っていない(好きでもない愛してもいない)のに妊娠させたのは悪かった」といった。わたしを貶め続けた。(わたしは長いこと彼に貶められ続けたという思いがあります。)包丁を目の前に突き立てたとき初めてわたしに懇願した。だから殺意は中絶と一緒に思い起こされるのです。


 二度目の中絶直後だったと思いますが、たくさんたくさん夢を見ました。そのなかで、よく覚えている夢がひとつあります。わたしは手のひらに小さな子供を乗せています。相手のYがでてきて、一緒に育てようといいます。わたしは、そんなはずはない。こうならない(子供を産まない)ために堕ろしたんだからとYにいいます。するとYはいつのまにかわたしに変わっているのです。わたしはそのもうひとりのわたしに、産みたかったんだね、といってわたしを抱きしめる、そういう夢でした。(いま思えば絵に描いたような夢ですが。)泣きながら目を覚ますことが多くありました。自分の泣き声を聞いてびっくりしておきるのです。泣くのは只々自分のためなのですが、そうして表れる気持ちを、訴えたいひとが目の前にいるのに訴えてるのに受け入れてもらえないというのは、じつにしんどい。ほかの誰でもなく、あなたに聞いてほしいのだ。あなたでなければ、意味がないんだ。受け入れてもらえないことはままあることですが、それが耐え難いとき、どうすればいいのでしょう。


 3:平成9年3月24日


 三度目です。これを境にわたしはいままでの中絶と、どうしてそれがそんなに辛かったのか、どうすれば良かったのか、どうされるべきだったのか、考えられるようになりました。


 このころ三人のひとの間をふらふらしていました。妊娠については、思い当たるひとはそのうちのふたりで、三人目のひとにも伝えました。当事者であろうふたりには、費用の四分の一ずつ負担してもらうことにしました。うちひとりのひとが、わたしを色々面倒観てくれることを申し出てくれました。そこでわたしたちは、妊娠・中絶というプロセスを一緒に経験していくことにしたのです。

 まずどのように身体は変化していくのか知ってもらいました。胸は張って乳首は大きくなり、乳房に静脈が浮き出てくること、臍下がでっぱってくること、たえず若干のむかつきがあってあまり食べられないこと、結構簡単に吐いてしまうこと、常にだるくてしんどいこと。ことあるごとに自分の変化を訴えることで、注意を向けてもらうことができますし、目に見える分だけ、助けを訴える相手にもわかりやすい。相手は注意を払いやすくなる。自分は相手にいつも気にしてもらっているのだと感じ、安心することができます。そして精神的負担について。そのひとはとても努力してわたしよりも先回りすらして、わたしに必要なことば・態度を考え実行してくれ、あなたはひとりではないのだと繰り返し繰り返し伝えてくれたので、わたしは今までのことをすこしずつ掘り起こしてみることができました。いままで本当はして欲しかったこと、必要だったことをきちんと自覚できるようになりました。それはどうしたら自分を無闇に傷つけずにすむか、もし傷ついてしまったらどのようにして癒していくかを学ぶきっかけとなりました。

 ここで初めてわたしは、意識して他人との関係をつくっていくという経験をしました。わたしはこういうところに弱いよ、そしてあなたはここがつらいんだね、そういうふうにして自分の相手のしんどいところを互いに口に出し、確認しあう。親しくなる過程で当然起こる誤解やそれによる悲しさを訴えそれを認めてもらう。認めてもらえたんだという納得の積み重ねがわたしを助けました。

 おまえはばかだ。おまえは本当のことを隠す。おまえはわたしより劣っている。おまえは 何もできない。おまえはこういう人間だ。わたしは分かっているよおまえの言いたいこと はこうなんだろう。おまえはばかだ。おまえは駄目だ。

  いちばん近しいはずの恋人や母親はこう言ってわたしを殺し続けてきました。

 わたしはもっと早くに味方を得るべきだったんです。わたしを傷つけ続けるひとたちを捨てて。けれどわたしは見切りをつけることができるなんて思いもしませんでした。ひとが近しくなればなるほど、ぶつかることは避けられなくて、ひどいあしらいやいわれを受けてもそれは当たり前なんだと考えていたからです。そう考えるようになっていったのは、やはり母親のせいなのでしょう。

 わたしの母はとても偏狭な視点の持ち主です。彼女の理解の範囲を超えるものに対しては、その存在を無視します。狭い価値観のゆらぎのもとで強大な力を持つ母親に、絶対的に弱い子供はなんら有効な手段を持ち得ない。彼女の世界からはみだしてしまう考えは、それがどんなに筋が通っていても、ばかばかしくて間違っていてありえないことなのです。わたしはいつも泣いて終いにはひきつけや呼吸困難をおこしていました。ここまでいえば少しは分かってくれるのではないかと僅かにですが期待して翌朝彼女と顔を合わせると、彼女はまるでなにもなかったというように昨日のわたしを見事にきれいさっぱり忘れています。こんなことをもう死ぬほど繰り返したような気がします。ここにいるといつか死んでしまう。早くここからでなければならない。だんだんとわたしはそう考えるようになっていきましたが、依然として気持ちを訴えることは、少なくなっていきながらも、止めようとはしませんでした。止められなかったのだと思います。訴え続けることは、分かってほしい(でも無理だと知っている)という懇願と、潰さないでという防御の両方だったからです。このときのわたしに「あなたは正しい。あなたは許されている。そしてわたしはなにがあってもあなたの味方をしよう。」といってくれるひとがいたら、あんなにも傷つくことはなかったろうにと、いまのわたしは当時のわたしをかわいそうに思います。

 そして初めてそのようなことをいってくれたのが、二回の妊娠の相手であるYでした。彼もまたわたしを殺し続ける人間のひとりだったのですが、そのひとことがわたしをつなぎとめ続けました。


 わたしは、すがれるなら誰でもいいという状態で出会ったYをつえにしようとしました。欠陥人間でもいい。その言葉でYは本当につえになり、わたしは救われました。このときその言葉を得ていなかったら、もしかしたら死んでしまっていたかもしれないと思います。この言葉で、わたしはYとこの先もずっと一緒にいることを決めましたし、またそうであることを信じてもいました。けれど立ち上がるためのつえは歩き出す人間には必要のないもので、時には害にさえなるものでした。

 わたしはYを利用したという負い目を初めのころいつも感じていましたが、それはYも同じだったのかもしれません。Yはわたし以外の人間とのつながりをどんどん断っていきました。Yにとってわたしは、友人であり恋人であり兄弟であり母親である、ほとんど外界すべてでした。そしていつも一緒でした。彼とわたしだけの小さな世界で、彼は常に勝者であろうとしました。おまえはばかだ。おまえは自分にうそをつく。この言葉に窒息しそうでした。いつもいつも認められていない、認めてよという気持ちを抱えてとても苦しかった。わたしはだんだんと現実感を喪失していきました。見ているのにあるように感じない。自分がここにいるのか定かでない。あらゆる感覚が皮膚から遠ざかる。この離人状態はとても長く続き、これにはかなり悩まされました。セックスだけが、わたしに強く現実を感じさせてくれるものでした。


 次の恋人は近親憎悪のとても強い人で、彼からもまた強い抑圧を受けました。彼の価値基準からはずれたものはみんな嫌悪されました。そのことが近しい人間(わたしのことです)をどんなに傷つけることになったとしても、彼はNOといいつづけました。そのことを責めると、どうしてそこまでコミュニケーションを取りたがるのか分からないといいました。ここでわたしの希望は大きくくじかれました。そんな彼が3度目の妊娠の相手かもしれない人のひとりです。

 彼はセックスの時のわたしがいちばん気に入っていたようです。「いつもセックスしてる時みたいだったらいいのに」。こうしてそうでないときのわたしは拒否されてしまう。いろいろなことを一緒にしたように思いますが、セックスだけがお互いにいちばん気持ちのいい、優しくなれることでした。だからセックスだけしつづけました。互いが互いを道具として気持ちよくなろうとしました。(彼はよく「君は只の穴だ。ぼくのオナニーの道具だ。」といってセックスしていました。彼の性幻想なのでしょう。)セックスだけがわたしたちをつないでいました。

 ですからいま彼との間に何があるかと考えてみると、痛い思い出と、セックスです。はなから拒否されてしまった以上、友愛の情などのお互いで築き上げるものなど何も残るわけがありません。無論ある種独特な思いは抱いていますが。3度目の妊娠のときも、彼とふたりで経験できたものは何もないように思います。わたしは妊娠し中絶手術を受け、彼は費用の一部を負担した。そうしてその件に関すること、一般に妊娠や中絶に関することはアンタッチャブルなものとして残されました。とても残念です。そのような究極的事態に陥ったときでさえも、彼とふたりで獲得できたものは何もなかったわけです。


 これはいうまでもないこと些細なこと、といって自分の中にため込んでしまうのはよくあることです。ですが、口に出してみると思った以上に自分の中身が軽くなるのが感じられたりします。ほっとすることで、相手との関係が以前よりなめらかになったりします。ですから自分をすすんで痛めつけてしまうような人にわたしはいいたいのです。自分の内側にたまっていくささやかな不満のじょうずな出し方を学んでください。相手に負担をかけたくないからといって何でも自分にためていると、自分の中だけで物事が循環していってしまいます。相手はあなたが何を考えているのか分からなくてどうしようもなくなったりするかもしれないし、その一方であなたはどんどん破綻に向かって突き進んでいってしまうかもしれない。そういうひとをわたしも含めて身の回りで沢山見てきました。そしてわたしはもうそういうことを繰り返したくない。


 知っておくべきこと

 中絶の実際

 中絶は、危険の伴う手術です。わたしたちは自分の体にどのようなことがなされるのか知っておかなければならず、また医者もそれをきちんと説明すべきです。産婦人科でいやな思いをしたことのあるひとは多いのではないかと思います。詳しく聞かれるのをいやがる医者も確かにいます。わたしたちにできることは、きちんとした医者を選ぶこと、自分自身が妊娠・中絶・その後のリスクをちゃんと理解することです。


 きちんとした医者とは、わたしたちが知りたいと思ったことについて答え、知らせるべきことを知らせ、わたしたちの自尊心を尊重し、準備もアフターケアもともに万全な医者です。これらは当たり前に聞こえるかもしれません。しかし中絶には後ろめたさがつきまとうので、些細なことは聞けなくなってしまいがちです。自分のために、どんなつまらなく思えることも聞くべきですし、わたしたちにはその権利があります。


 妊娠かどうかを調べるためには、まず問診と尿検査を受けます。問診の際に、もし妊娠していたら産むかどうかという質問事項があるので、望まない場合にはそう記入しますし、医師にもそう答えます。

 それから内診を受けます。これをしないで尿検査だけで判定する医者の手術を受けるのは、避けたほうが賢明でしょう。内診は触診と、エコー(超音波診断)をとって行います。下着を脱いで診察台に足を広げて乗るのは、初めてのときは屈辱的なものを感じるかもしれません。中絶すると決めているのならば、後ろめたさも手伝ってなおさらです。こんなときにひどい(と感じられる)ことを言う医者も避けるべきです。(つわりはないといったわたしに、「そういうのってイヌばらみっていうんだよ」といった女医がいました。いかにそのことをそう形容するものだとしても、中絶しようとしている自分が畜生呼ばわりされたように感じ、ひどく不快な思いをしたものです。)信頼できる医者のもとでなくては、その後の自分のこころにどんな傷を残すか知れません。

 妊娠が確定し、中絶の意思も伝え、手術の日取りが決まると、必要なものが言い渡されます。中絶同意書には自筆による署名と連絡先、捺印が自分と相手の両者分必要です。手術に対する誓約書も提出するところもあります。これらと生理用ショーツ、ナプキン等を持参して、手術に臨みます。

 現在主にとられる中絶方法として、吸引と掻爬があります。吸引は子宮の内膜ごと胎児を吸い出す方法、掻爬は器具をつかって手探りで内膜を掻き出す方法です。このふたつをともに用いる医者と、吸引のみを行う医者がいますが、前者のほうが多いようです。特に掻爬はその医者の腕の善し悪しによって、その後の体にかける負担が違ってきます。術後何日かは痛みと出血が続きますが、優れた技術者だと手術の翌日からの痛み・出血の程度に格段の差が出ます。

 手術前夜から入院するところもあります。わたしの三度目の中絶のときはそうでした。夜のうちに子宮口を広げるための器具を挿入しておきます。これは結構に痛い。手術直後の痛みと似ていました。けれどこれをしておくと、子宮口は時間をかけて広げられるので時間をかけて閉じることになり、子宮内に残留した血液などが速く出るそうです。痛み止めが出るので、飲んで寝ます。

 手術は基本的に朝早い時間に行われます。絶食して臨むのと、大きな病院では一日の処置数が多いので続けて行われますから、効率を上げるために他の外来の人たちと混ざるのを避けるためでしょう。きちんとしたところでは点滴をうちながら手術したりもします。手術自体にかかる時間は十五分から二十分といった比較的短い時間ですが、全身麻酔なので動けるようになるまでそれなりに時間がかかります。痛くて目が醒めたりもしますが、無理矢理寝かされます。その痛みは、ひどい下痢のときに似ています。半分寝ぼけているようなものですから今すぐトイレに行かないとと思って、看護婦さんが止めるのも聞かずによろよろしながらトイレに行ったりもしました。術後五・六時間で異常がないならば、帰宅が許されます。勿論しばらくはお風呂と運動とセックスは禁止です。

 術後は子宮収縮剤と抗生物質を継続して飲みます。その間病院に二三度通います。ちゃんと胎児を摘出できたか尿検査をして調べ、体の状態をチェックします。出血が止まり、二週間ほどしたら、通院は終わりです。


 費用は病院によってまちまちですが、手術自体は六〜二十万の間で、確実に安全でケアも万全と思えるのは十五・六万ぐらいからでしょう。そのほか診察代、薬代など通うたびにかかるので、その分も考えあわせると、プラス二万くらいは見積もったほうが良いかもしれません。保険証は使えません。

 不安とフラッシュバック

   中絶は繰り返さないことが一番望ましいのですが、避妊が十分ではなかったり(避妊率100%の方法は外科的手術で生殖器を摘出したり切除したりする以外ありえないからです)、望まないセックスを強要されるなどの色々な理由で再び妊娠してしまうことはあり、その結果中絶を余儀なくされることは十分にあり得ます。将来子供を持ちたいと思っているひとにとって、中絶を繰り返すと不妊につながるのではという不安は、とても大きなものだと思います。わたしが二度手術を受けた病院の医師は、そんなことはない現にあなたはこうやって妊娠しているでしょうと言いました。が、三度目の手術を執刀した医師は、三度目と聞いて、どうしても産めないのかと渋い顔をしました。彼女ははっきりと、これからに差し障りがあるかも知れないよと言ったのです。

 中絶は子宮内膜を掻き取る手術ですから、それを繰り返すことが妊娠に対して何らかの影響を及ぼすかも知れないと考えるのは、至極当然です。(この点においては、専門家の意見を仰ぎたい。)そういった物理的な問題以外に、セックスに対して恐怖感や罪悪感を抱いてしまうといった精神的な問題も起こり得ます。また、ことあるごとにフラッシュバックにも悩まされるかも知れません。

 わたし自身、いまだ何かきっかけのあるごとにフラッシュバックが起こります。妊娠それ自体についてというよりも、そのとき受けていた抑圧や屈辱感など、さまざまの思い出したくない悪い感覚が連鎖的に甦ります。そんなときはまず誰かに言うことです。自分が今まで努力してきたこと丸ごとが、何の意味もないもののようにそれらの感覚に潰されてしまいそうに思えても、そんなことは絶対にありません。誰かにそう言ってもらうのいいと思います。

 大切なのは、これ以上自分を無闇に傷つけないことです。


 避妊


   妊娠も、中絶も、その責任はあなたと相手双方に同等にあります。コンドームすると相手が嫌がるからとか、しないほうが気持ちいいだろうからといった判断で避妊をしないというのは、あきらかに自分を守るのを怠っているあなたの責任です。またそういうあなたにずるずる甘えて避妊しなかったり、避妊を拒んだりするような相手は、あなたを大切にしているとは言い難い。また避妊していると思っている場合でも、間違った知識のもとにおこなわれていることが多いのです。

 膣外射精は、射精に至るまでに精液が漏れていることがあるので避妊は確実ではありませんし、男性の都合だけで快感をいいようにされるので、女性は実に不愉快です。マイルーラなどの避妊フィルムは、装着がむずかしく、化学的に精子を殺傷するだけで物理的なしゃへい効果はないので、これもまた確実ではありません。生理の周期でいわゆる危険日を推定する方法は、よほど周期が安定したひとでないと効果的ではありませんし、多くのひとは何日かの変動があるものです。基礎体温を測る方法も、毎日同じ時間・同じ状態で測らなければ意味がないでしょう。ピルは飲み忘れが一日でもあると効果はありません。生理中なら平気だろうと膣のなかで射精すると、経血=子宮内粘膜が逆流して、子宮内膜症の原因になったりします。産婦人科でIDUを入れてもらうのも手ですが、やはり100%ではないようです。

 一番確実なのは、やはりコンドームです。病気の予防にも効果があります。けれどもコンドームでさえ100%ではありません。破れたりすることもありますし、はずすときにでも精液が外陰部に付着すれば、妊娠する可能性はあります。セックスする限り、妊娠の可能性は常につきまとうのです。どんなに注意していても妊娠する人はいますし、多くの女性(とそのパートナー)は次の生理が来るまで常に不安を抱えているでしょう。それでもわたしたちはセックスをしています。